2018/12月 単独親権批判・同居親優先批判・母親優先批判

母親は子供連れて逃げていいけど、連れていかれた子供はその母親から逃げてはいけないという全く意味不明な運用を裁判所のお墨付きというだけで正当化して利権者が群がっている構図<(女系)単独親権=独裁児童監禁制。


現行の単独親権制は単独親権親に虐待される子供が別居親のところに逃げ出しても政治権力が虐待親のところに戻すという制度(運用)でありまともでない。共同親権は両親に政治的優劣をつけないということであり本来当たり前の運用。


共同親権制を両親合意制と考えるので問題があるように思えるのであって、単独親権と同様に一方で足りると考えればよいです。すると、その一方を固定した単独親権制の独裁的弊害をなくした制度(子供にとっての自由主義的制度)になります。


子の福祉や利益から言ったら、選択自由・鞍替え自由・両親からいいとこどりが良いでしょう。「子の自由」を侵害する気満々だから政治パラサイトは「子の福祉や利益」という抽象概念を使う。権威を利用しつつ権力(自由)を取りあげ監禁する伝統芸。


子供を放っておけないので子供を連れて出ざるを得ないと言えば片親(特に母親)の子供連れ出しは自由だが、後日子供本人が逃げ出すのは既得権的に許さないというのが現行単独親権(片親独裁)でその結果日本は児童虐待放置国家どころか児童虐待保護国家。


慈悲深い良い独裁者が沢山いたとしても独裁システム全体を正当化することはできない。問題のある独裁者に虐待された人に良い独裁者が沢山いることを伝えても何の慰めにもならない。単独親権という独裁システムを廃止・骨抜きにして子供の人権(自由)を保障すべき。


単独親権擁護派は共同親権を父母合意制と意図的に決めつけて批判しますが、共同親権でも父母を(初回限定でなく)常時子供が選択できるような自由主義的な考えもあるはずです。その場合は単独親権擁護派の批判はほぼ的外れで、単独親権者に虐待される子も救うことができます。


配偶者を叱るのはモラハラ(精神的DV)という単独親権擁護者(子供を連れて逃げろ論者)に両親自由選択制の共同親権を提案すると子供に逃げる自由なんか認めたら子供を叱れなくなる的な反論をしばしば受けるのでどんな生い立ちかは知らないけど公害発言を垂れ流すのはやめて欲しいと思う。


経済力あれば病気の時以外の一人暮らしは簡単。子供がいても仕事・家事・育児ワンオペ上等という人達もいると思うがそれがモラハラ(精神的DV)?。そういう人から見れば経済的DVも変な概念。子供好きにとっては養育費制度ってレジャー代出して他の人にレジャーに行ってもらうようなもので意味不明。


関係良好な父子が交流する場合、母も第三者で父子の当事者としての人権(自由権)より人権でない第三者のお墨付き監禁権(単独親権)が最優先されるのが問題。DV父という偏見ドラマで公害発言を流すマスコミ人もいる。本当はDV母で子が死んでも揺るがない。彼らは全体主義者で個々の死は統計的誤差だから。


離婚後共同親権は全会一致制なので関係が良好な元夫婦限定(大半は現状の単独親権)という形で単独親権者の子供監禁権を今まで通り守ろうという利権者等の宣伝が目立つが父母の一方の同意があれば子供が自由に行動できる自由主義的な共同親権なら関係良好要件は不要。全体主義的御都合主義はやめるべき。


経済力ある方を巻き込まないと仕事にならないのが拉致弁(離婚弁護士)。子の監禁は裁判所(政治)が認めている、子をダシに金を請求するのは裁判所(政治)が認めている・・って政治を使って子を食い物にするのはやめるべき。子の人権(自由)を保障すべき。逃げたければ本人が逃げればいいだけで裁判所は不要。


妻が精神疾患で夫が仕事・家事・育児を全部こなし子が夫べったりでも、妻が子を連れて実家に行けば、簡単に断絶して子に全く会わせずお金だけ支払わせ続けることが可能なのが日本の(女系)単独親権であり、主たる監護者概念は偏見利用のまやかし。主な育児負担者なら断絶可能なのもそもそもおかしいけど。


日本では片親が子供を連れ去り・監禁して(かなりの頻度で子供の所在すらわからないようにして)、他方親に婚姻費用や養育費名目で多額のお金を上納させる事例が多発しています。この連れ去りはDV親がDVの延長として行うことも多く、他方親が自殺などに追い込まれる悲劇も多数生じています。今すぐ連れ去り得(監禁得)や単独親権を骨抜きにして(形骸化して)子供の逃げる自由を保障する必要があります。